考えさせられることが多い世の中だ。ネットが発達し、世界のあらゆる情報が洪水のように押し寄せ、世界が時間差なく同時にニュースに触れられる。そして、ものごとがどんどん複雑化し、価値観も多様化する。その変化スピードは加速度を増す。ひとりの人が生きている間で、まさしく「10年ひと昔」状態だ。
ヨーロッパの熱波が半端ない。全土で1週間で16000人、ドイツじゃ今年だけで12500人死亡ってあった。おそらく熱波が関連しているんだろう病院患者や、施設の人などが多く含まれてるだろうと思う。
なんていうか、死にすぎだろうと思う。日本ならそんだけ人が死んだら、ここまで増える前に、必ず防ぐ対策をとりまくると思う。命より大事なものはないという考えがいちばんにくるからだ。
だが、ヨーロッパは違うみたいだ。クーラーつけるにしても、フランスは建物が昔からのものだから、景観とかいろいろ法的に越えなければいけない問題がある。設置費用も高い。ドイツにいたっては、ただ20日間ぐらいの猛暑のためにクーラーを設置するのは無駄とか、我慢すればいいとか、それが“合理的な考え方”らしい。
しかもだいたいヨーロッパって、クーラーつけますっていっても、そこから値段交渉とかいろいろで何か月後かになるらしい。なんとも「不便だ」と思ってしまう。これが合理的とは思えない私、いや日本人。
そしてフランスの鉄道が走ってて止まった。クーラー壊れ、車内は40度超え。車体が古いまま使ってきたそのつけである。それでもかなりの列車を、クーラーが故障する恐れのため最初から走らせてないのにである。気温が何度まであがれば、クーラーが壊れるので止めますってアナウンスがあったとか。いや、なんのためのクーラーだよって思った。それでも、みなさん、怒りもせず、仕方がないと我慢しているのである。いつも主張しまくっている人たちが、こんなところでは我慢しているのが驚く。いや、こここそ、怒るところだろうがと。みんなは悪くない。悪いなりにがんばっている。鉄道運転手は40度車内で走らせている。何千人だかの鉄道員が炎天下、暑さで線路が歪まないかを見ているとか。みんなががんばっているのはわかるが、がんばるところがそこじゃないだろとツッコミが入るよ。
しかもこの後におよんで、いまだに、クーラーが環境に負荷をかけるだの、身体によくないだの主張もある。なんだろうなあ。理念や考え方が、命の危険をも上回っているのが不思議だ。
ばかげた主張にしか思えないのは、日本人だからだろうね。何がいちばんかなんて、何が正しいかなんて、そもそも大正義はどこにもない。国や人種、同じ国内ですら、人によって正しいと思えることはあまりにも違うのだ。
また、アメリカじゃ年収1000万超えが当たり前なのはうらやましく思える。が、1000万では何かの支援が必要な貧困層と聞くと、感想はまったく変わる。物価が高すぎて、いまやマクドナルドでさえ値上がりして、客離れが起きてきているという。都市部は家賃が毎年あがり、収入の半分は確実にもっていかれる。きちんと勤めている人でさえ、家賃が苦しく車生活とかってニュースもあった。
日本はアメリカに比べたら平均年収は3分の1くらいか?貧しくなっているというけれど、それでも、食品も買えるし、家も借りれるし、病院にもいける。上がっていく税金も払い、少しずつ支出を削り、それでもまだなんとか、社会全体が壊れないように踏みとどまっている。そこにみんなの意識がある。
時刻表どおりの交通機関、比較的安全安心な生活、救急車がきたら車がみんなあうんの呼吸でよけていく(都市部はどうだかだが)、24時間どこかでものが買える、水道水が飲める、ゴミがきちんと収集されて散らばって残ってない。どんだけ暑くても、電力不足とかない。少しあげても、その快適な自分の生活は、見知らぬたくさんの人が関わり、たくさんの人が意識的にきちんと行動してくれているからこそ、成り立っている。継続してずっと維持し続けてくれている。
今日も外は暑いけれど、どこに行ってもクーラーはよく効いて、普通に快適に過ごせる。これが幸せでなくて何なんだと、私の価値観は思うのだ。