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人がおぼれていて、それを目撃した人が、すぐ飛び込んで救出したとかいうニュースがあった。飛び込むにも勇気がいるよな。自分も危険だし。その助けた人は泳ぎに自信があったのか、成功して人命救助は素晴らしいけど、決してその行為を推奨しているわけではない。一般的には無謀と紙一重だ。ただ、どんなことでも、危機がせまったときの状況に、すぐ“動ける”のは能力だと思う。例えが突拍子もないが、かつてあのタイタニック号が沈没したが、その生存者が、船室で祈りをささげている人、ぼおっと動けないでいる人、すぐ甲板へ走りあがる人などがいたと証言していた。いきなり物が落ちてきたとか本当に瞬間の身体反応ではない事柄、危険なときとか、非日常的何かあったとき、普通はやはりすぐ動けないんじゃないかな。自分でもそう思う。特に、自分でなく、他の人の危ない状況とかに遭遇したとして、なにかするだろうか?身近なことなら、もし運転していて、近くで事故を目の当たりにみて、自分が何か行動するだろうか?自分がそこで止まれば、交通渋滞を起こすからとか、他の人が対応するだろうからとか、いろいろ理由をつけてそのまま見過ごすかもしれない。関係者ではないから、立ち去ったとしても罪には問われることもない。でも自分の心に罪が残るかもしれない。ではそこに立ち入っていくとしたら?救助活動、交通整理、あらゆることが想像される。考えるほどに、とても難しいことだ。でもやはり“動ける”人は確かにいる。災害のときでも、“動ける”人は必ずあらゆることに対応しようとするだろう。そしてそれがまわりに人を集め、少なくても物事の改善方向へ向ける。それが、“動ける”人の明確な主体性とリーダーシップだと思う。いきなり非日常に遭遇するかもしれない、そうなったらとにかく冷静に、あらゆる想定を考えて、すぐに行動を起こす、という脳内訓練が必要かもしれないなあと思う。毎日でなくても、ふとなんかのときに思い出しては、意識の上層部にもってくるだけでも、少しは危機管理に効果がないかなと思ったりする。人のためなんて恐れ多いことは言えない。まずは自分自身を守るためにもね。PR
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ニュースを見た。能登半島地震の災害義援金を受け取ったことで、生活保護を受けていた被災者が、義援金を“収入”とみなされ、生活保護を廃止されたという内容。
どうなん、それ。義援金は義援金。別物ではないのか?月々3万の年金と貯金切り崩しで切り詰めたギリギリ生活する80代。あまりに不都合な現実。それじゃ、義援金受け取らなければ良かったのか?
そりゃ、税金が重いのは誰でも嫌だよ。けど、事実とられているんだし、使われるべきところに使う、節約したり無駄なところは省く、弱者や本当に困っているところに使うべきだと思う。
世の中はくそどうでもいい仕事は高額、本当に人に対して生きていくうえで必要な仕事は安い。
例えば大きめ企業のトップまで行けば、退職しても、いろいろな肩書がつく仕事が、しかも高給で、しかもあまり出社しなくていい役職がまわってくる。それはどうでもいいとは言わないが、例えば社外取締役とかの経歴は華々しく、何行にも連なっている。一定レベルの安定的収入が続く。
逆に本当に直接的に人の役に立っている仕事が、どれだけの対価があるのか?どれだけの働きやすい職場環境があるのか?病院関係、介護関係、教育関係、交通・生活の安全関係、インフラ関係、ゴミ収集など生活関係、そして、幅広くとらえれば、身近なさまざまな仕事がほとんど、直接的な人のためだ。
対価もあるが、職場環境はまだ見直しがきくはずだが、安いところほど、環境は厳しいという連鎖。こんだけコンプラだの残業ゼロだの働きやすさを重視だの言ったところで、風下ほど、そういう言葉とは乖離していく。風上の人にはそういう問題は見えにくいだろう。想像ができないからだ。毎日の仕事は小さないろいろな問題の積み重ねだ。やがてそれが積み重なり増えることで、人は疲弊していく。やる気ではカバーできない。
モチベーションの理由に給与がいいとかは少ない。実際に少ないし。そして日本人のいいところでもあるが、人の役に立つのが頑張れる理由だったりする。本当はそれじゃいけない。それじゃだめだ。その精神は素晴らしいが、その仕事すべてに表れる精神の対価もつけてほしいと願う。だってね、同じ仕事をこなしたとしても、すべての行動においてその精神は出現する。ひとつひとつの動作・言動に宿っている。仕事に差が生まれる。それはとても尊いものだ。
国というのは、国民のためのものであるのは当たり前だろうが、日本も、世界もまったく当たり前じゃない。なんだか、一部だけでうまくまわるようなシステムみたいな感じで、既得権益はぜったい守る。日本なんかそこは昭和以前からまったく同じだろう。そこにくそどうでもいい仕事も発生する。ムダ仕事を作り、金の流れの間に入れ、中抜きしていくシステム。
消費税が輸出企業に還付されるトリックとか知れば、なぜ消費税減税に経団連が難色だったのかもわかる。ステルス増税やそんなトリックなど、一般国民が知らないところで、うまくやっているとしか思えない。私らもいろいろ関心をもつべきだろう。これまでが、あまりにも時代劇さながら“お上の御意向のままに”で、きっとうまくやってくれるだろうと丸投げだったから、責任は皆にある。
なんとなく想像すると、金のあるところに人は集まる。役職ある人に人は集まる。弱者と呼ばれる人たちのところには人は集まらない。障がい者施設をつくって搾取したとかいうニュースもあった。ブリーダーの動物の扱い方のひどいのを見て衝撃を受けた。最近は、暗いニュースばかりだ。だからかもしれないが、自分の人生において、金は大事だが、やはりそれよりも大事に扱うべきものはぜったいあると思うこの頃だ。 -
時々ある。さきほどまで確かに机の上にあったものが、見当たらないとか、落ちて行方不明になる。どんなに探しても見つからない。あったはずだが、ない、ない、ない。ところが、ちょっとしてふと見ると、あ、あった、ということが時々ある。見ているのに、見てない。見えるものが、見えてない。これってどういう作用なんだろうと、そのたびに思う。目はものを見る機能だが、認識するのは脳だから、脳の作用だろうね。観測することによって状態が変化、世界が決定するという最近の量子問題と、なんか似ている。量子は“見る”まではいろんな状態にある。「シュレディンガーの猫」という思考実験が有名だが、あくまでも思考で、箱にネコを入れ、毒ガス発生させる。箱をあけるまでは、生きている、死んでいる、が同時に存在している。開けてみた瞬間に状態がひとつに確定する、というもの。やはりナゾだ。なんのこっちゃ。でもまあ、物理の世界でそんなとんでもないのなら、自分の机の上のものだって、消えることもあるだろう。さらに、脳を信用してはいけない。なんかでみたが、脳は二次元に映るものを、補足して三次元に立体化して見せているとか。まあ、バーチャルゲームみたいな感じかな。酔わないけど。