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ニュースを見た。能登半島地震の災害義援金を受け取ったことで、生活保護を受けていた被災者が、義援金を“収入”とみなされ、生活保護を廃止されたという内容。
どうなん、それ。義援金は義援金。別物ではないのか?月々3万の年金と貯金切り崩しで切り詰めたギリギリ生活する80代。あまりに不都合な現実。それじゃ、義援金受け取らなければ良かったのか?
そりゃ、税金が重いのは誰でも嫌だよ。けど、事実とられているんだし、使われるべきところに使う、節約したり無駄なところは省く、弱者や本当に困っているところに使うべきだと思う。
世の中はくそどうでもいい仕事は高額、本当に人に対して生きていくうえで必要な仕事は安い。
例えば大きめ企業のトップまで行けば、退職しても、いろいろな肩書がつく仕事が、しかも高給で、しかもあまり出社しなくていい役職がまわってくる。それはどうでもいいとは言わないが、例えば社外取締役とかの経歴は華々しく、何行にも連なっている。一定レベルの安定的収入が続く。
逆に本当に直接的に人の役に立っている仕事が、どれだけの対価があるのか?どれだけの働きやすい職場環境があるのか?病院関係、介護関係、教育関係、交通・生活の安全関係、インフラ関係、ゴミ収集など生活関係、そして、幅広くとらえれば、身近なさまざまな仕事がほとんど、直接的な人のためだ。
対価もあるが、職場環境はまだ見直しがきくはずだが、安いところほど、環境は厳しいという連鎖。こんだけコンプラだの残業ゼロだの働きやすさを重視だの言ったところで、風下ほど、そういう言葉とは乖離していく。風上の人にはそういう問題は見えにくいだろう。想像ができないからだ。毎日の仕事は小さないろいろな問題の積み重ねだ。やがてそれが積み重なり増えることで、人は疲弊していく。やる気ではカバーできない。
モチベーションの理由に給与がいいとかは少ない。実際に少ないし。そして日本人のいいところでもあるが、人の役に立つのが頑張れる理由だったりする。本当はそれじゃいけない。それじゃだめだ。その精神は素晴らしいが、その仕事すべてに表れる精神の対価もつけてほしいと願う。だってね、同じ仕事をこなしたとしても、すべての行動においてその精神は出現する。ひとつひとつの動作・言動に宿っている。仕事に差が生まれる。それはとても尊いものだ。
国というのは、国民のためのものであるのは当たり前だろうが、日本も、世界もまったく当たり前じゃない。なんだか、一部だけでうまくまわるようなシステムみたいな感じで、既得権益はぜったい守る。日本なんかそこは昭和以前からまったく同じだろう。そこにくそどうでもいい仕事も発生する。ムダ仕事を作り、金の流れの間に入れ、中抜きしていくシステム。
消費税が輸出企業に還付されるトリックとか知れば、なぜ消費税減税に経団連が難色だったのかもわかる。ステルス増税やそんなトリックなど、一般国民が知らないところで、うまくやっているとしか思えない。私らもいろいろ関心をもつべきだろう。これまでが、あまりにも時代劇さながら“お上の御意向のままに”で、きっとうまくやってくれるだろうと丸投げだったから、責任は皆にある。
なんとなく想像すると、金のあるところに人は集まる。役職ある人に人は集まる。弱者と呼ばれる人たちのところには人は集まらない。障がい者施設をつくって搾取したとかいうニュースもあった。ブリーダーの動物の扱い方のひどいのを見て衝撃を受けた。最近は、暗いニュースばかりだ。だからかもしれないが、自分の人生において、金は大事だが、やはりそれよりも大事に扱うべきものはぜったいあると思うこの頃だ。PR -
時々ある。さきほどまで確かに机の上にあったものが、見当たらないとか、落ちて行方不明になる。どんなに探しても見つからない。あったはずだが、ない、ない、ない。ところが、ちょっとしてふと見ると、あ、あった、ということが時々ある。見ているのに、見てない。見えるものが、見えてない。これってどういう作用なんだろうと、そのたびに思う。目はものを見る機能だが、認識するのは脳だから、脳の作用だろうね。観測することによって状態が変化、世界が決定するという最近の量子問題と、なんか似ている。量子は“見る”まではいろんな状態にある。「シュレディンガーの猫」という思考実験が有名だが、あくまでも思考で、箱にネコを入れ、毒ガス発生させる。箱をあけるまでは、生きている、死んでいる、が同時に存在している。開けてみた瞬間に状態がひとつに確定する、というもの。やはりナゾだ。なんのこっちゃ。でもまあ、物理の世界でそんなとんでもないのなら、自分の机の上のものだって、消えることもあるだろう。さらに、脳を信用してはいけない。なんかでみたが、脳は二次元に映るものを、補足して三次元に立体化して見せているとか。まあ、バーチャルゲームみたいな感じかな。酔わないけど。
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またもや、アメリカのドラマの話の続きだが、アメリカは警察も半端ない。そりゃ、命がけやからな。犯人と接触するときの異様な緊張感は、銃社会ならでは。ドラマで見る感じでしか言えないけど、こういった職業は本当に割に合わない感じがしてしまう。ドラマじゃ、重大犯罪発生となると、ほとんど寝ずに事件を追ってる。だからそういう職務で家庭崩壊もドラマではありがち。どう見ても、家の事より仕事に人生捧げてる感じ。よほどの使命感がないと、日本とは比べ物にならない犯罪の多さ、凄惨な現場、ストレスやトラウマで精神的にやられてしまいそうな感じだ。危険度が違いすぎて、どうしても犯人を見つけないと、被害者が増えてしまう恐れとかあり、めぼしい情報が入ると、疑わしきは訊問や逮捕、すっかり犯人扱い。違ってたら、次に判明した疑わしい容疑者へと、疑惑はすばやく移っていく。いや、日本なら、参考人なら、完全犯人扱いな、ひどい物言いはできないと思う。疑われるだけでも、犯人でないならかなり文句言うだろうし、そもそも犯人扱いされただけで、社会的デメリットが大きい。アメリカドラマでは、出頭時点で、すごいあからさまな犯人扱いのひどい言いかたされて、ブチ切れないのか?確かに怒ってるが、アメリカ人らしいはっきりもの言う通常運転みたいな感じだ。とにかく外向き、アグレッシブでパワフル。ドラマみるだけでも、いろいろ考え方、表現、人との付き合い方、距離感などの違いがあって、興味丸出しになる。なんか、人がどう思おうが、関係ない、気にしない。すべて自分主体の考え方。日本の察しの文化とはまったく違う、多民族ならでは。だから、ぶつかりもするし、多様性の自由さ、ダイナミズムもうまれるんだろうな。って思うくらい、アメリカの警察ドラマには、まるでアメリカンフットボールみたいな力強さと、タフな精神の仕事力を感じるのだった。あ、でもドラマなら面白いが、実際は日本の警察の方がいいかね。時には、日本のサッカー勝利に沸く渋谷交差点でロープをごていねいにはり、いちいち気を付けてという親のように世話を焼く警察ではあるが。