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low&order性犯罪特捜班というアメリカの連続ドラマ見てるんだが、その裁判制度にびっくりした。これぞカルチャーショック。
なんてのか、カジュアル。犯罪多いんだろうね。あっさり終わり、はい次!って感じ。しかも陪審員制度。日本なら裁判員制度。その陪審員になる人たちは、おそらく日本よりはるかに多様性があり、価値観、考え方も日本人なら平均化することも、まちまちだ。いわゆる「常識」で片づけられない。しかも陪審員に訴えないといけないから、弁護士がいろいろ法を解釈で、攻めまくってせめぎ合う。まず日本では見られない攻撃的なアグレッシブ弁論だ。陪審員の意見が一致しなければ不成立で裁かず終わるし。
例えばいかにも悪人で、確かにそいつが人を殺した事実があろうとも、警察の証拠の扱い方、犯人への尋問の仕方、弁護人のつき方によって、無罪になる。
マフィアが検察や判事を脅し、殺したりする。下っ端が殺されることにおびえ、トップの身代わりに犯人になる。検察官が狙撃され、新聞には死亡とでたが、実は保護されてどこかへ行く。検察には戻れず、証人保護プログラムみたいに別人になり生きていくことになる。ドラマだが、証人保護プログラムは本当だ。そこまでしないと命にかかわるとかやばすぎる。
逆に同情するべき正当防衛ともいえた人に、検察側もわかるから2級殺人で認めたら、懲役5年から10年ですむと提案するが、当人は私は無実だ。陪審員もわかってくれると無実を訴える。ところが評決は有罪で、1級殺人として終身刑。すごい落差。
日本はどうだろう。ドラマじゃないが、日本の刑事裁判における起訴後の有罪率が約99.9%は事実らしい。それって起訴段階でほとんど有罪確定されてるってことだ。これってどうなんだろう。どういうことなんだろう。起訴が重々しいのか、起訴なんてごく普通にしょっちゅうあるアメリカのカジュアル感がおかしいのか。アメリカと日本、まるで違う。正しさとは、罪とは、とても混乱している。まあ、ドラマなんで本当のとこは知らないが、まったくあり得ないことはドラマにはしないだろうとも思う。
確かに言えるのは、どうであれ、人が人を裁くことは本当に難しいってことかな。PR -
いちばん最初にAIに触れたのがチャットGPTだった。おもしろがって試にいろいろ打ち込んでみた。仕事のやり方での提案も聞いたら、1,2,3と項目をたてて、提案してくれた。くれたんだが、いわゆるありがちな提案で、いろんなところからとってきて切り張りしたような感じだった。なんの斬新さも新しい視点もなかった。聞き方が悪かったのか?次いで、小説のプロット、あらすじ、人物像を入力、どう展開するか聞いてみた。「さすがですね」「素晴らしい話です」「大変創造性あふれる見事な切り口ですよ」など、ものすごいほめ方で、まるで自分が天才かのようである。さらに「そこからどう掘り下げますか?〇〇方向に?〇〇の方に重心をおいてもいいですね。良ければ、掘り下げてみましょうか?」などと提案してきた。やってみてと書くと、第1章「〇〇の△△」とかタイトル付きで、第8章くらいまで勝手に展開をつくってきて、思わず笑った。自分が細かいこと書いてなかったこともあるが、「いや、そっちじゃないケド‥」の方向に張り切っていた。「いや、タイトル、そのセンスはないて」とか、ツッコミつつも楽しく読ませてもらった。で、お次は自分の構想を細かく打ち込み、このエピソードを掘り下げてみてと聞いてみた。すると、けっこうベタな自分では決して書かないであろう展開エピとなる。ほおほお。すげーな。一歩間違えたらメンヘラやん。などと、自分は偏見まる出し感想。でも、自分には絶対ない感じだったので、1つの小説の一部に参考にさせてもらいアレンジしてみた。その後もGeminiやCopilotも試してみたが、どれも賛美を惜しまない忖度を見せ、自分は鼻高々である。ネットでありとあらゆるものを拾い集め、それをつぎはぎしてみました感。結局個性を失くし、平均化し、よくありがちなものとなる。データ検索がすぐできるしか取り柄がないんだし、仕方がない。しかも個人的なこととか聞くと、情報漏れそうだし、どうでもいいけど聞いてみようくらいの生活便利帳的な使い方がいいんだろう。ゆくゆく汎用知能AGIや人工超知能ASIで人類をはるかに超えていく頃には、どういうお答えしてくれるんだろうな。わざと人間ぽく「あれ?忘れました」とか言っちゃったりして。それはそれで計算されてるシステムなんでこわいけど。あ、最新の研究では、AIも学習していくほど、増えた情報に対しての論理のつながり方が複雑になったり、矛盾がでたりで、「老化」するらしいから、素で忘れることもあるかも?
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Googleは、スマホと連携し、翻訳アプリでリアルタイム同時通訳機能を提供しているというニュースを見た。すごいな、外国語覚えなくても、理解し合えるんだと思ったが、ちょっと別のニュースも気になった。
人工知能が訳せない日本語がある。例にあったが「行けたら行くわ」。確かにこの言葉の意味合いは、時間や都合がつけば行く、気が変わったら行く、興味がないから行かないなど、微妙に行く確率が変わるパターンが考えられる。または話し合いの中での無言や、そうですね、といった曖昧な反応。会社の会議なんかでよくあるやつだが、これは通訳どうするんだろうか。無言は無視され、そうですねは肯定的に捉えられると思う。日本人同士だと、そうじゃないんだけどね。その状況でニュアンスが、言わなくてもみんなわかってる。
そこで調べると、日本語はハイ・コンテキスト(状況・文脈)文化なんだそうな。空気を読むってことか?うーむ、確かに互いに空気読み合いだもんねえ。
歩いてるだけでも。一本の道で向こうからやってくる人がいたら、おのずと見たとたんにかわす準備に入る。歩くサイドをどちらかに寄る。たぶん、向こうからくる人も同じように察している。そして、近づきすれ違うときにどうするか、なんとなく相手を読もうとする。雰囲気的に視線を合わせて挨拶しそうか、知らん顔か、それともなんとなーく首くらい傾けるか、いろいろ無意識に探るのである。最悪なのは相手が挨拶したのに、こちらが無視したように通り過ぎてしまった後だったりする。だから、それは避けたいからなんとなく微妙な会釈なり、首かっくんなり、先に少しだけ反応しておくのだ。それなら最初から大声できっぱりとこんにちは!と言えばいいじゃないかと言う感じだが、日本人は、そこはなんとなくできないのだ。浮きまくったら嫌だし。あと、そんなハイテンションの人はあまりいないし。
書いてて思ったが、こういう脳内展開は、ほんとうに無意識にやってる。子供のころから「鍛え上げられた技」だ。だから状況・文脈って日本語のキモなんだろなあ。
ひらがな、カタカナ、漢字、音読み・訓読み、同じ漢字が使い方で読みがいろいろ違う、数え方がものによって違う、関係性で表現変わるわ、謙譲語、尊敬語とか使い方わからない、など、こんなにいろいろあるのに、そのうえ沈黙やら曖昧やらそこを察しなければいけないという、日本人はAIでもわからないくらい大変な日本語を、よく駆使しまくっているよなと、改めて感心したとこ。