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スーパーへ買い物に行くと、最近特に、惣菜コーナーで割引シールを貼られているのを見かける。昼頃に行ってもだ。貼る時間が早くなっている。売れ行きが前より悪くなっているのかと思う。確かに1人だと惣菜は便利だが、家族が多いとこの値段なら、買い控えるのではなかろうか。コンビニのおにぎりもかなり高くなり、スーパーで買った方がはるかにマシだ。インバウンドでは、外国の人たちは日本が安くて美味しい、コンビニ卵サンドがおいしすぎる、安全だ、静かだといろいろ声がある。それを聞くと、日本人としてうれしいというより、海外がどんだけやばいんだろと思ってしまう。水道水を普通に飲む。水道水飲めるのは世界で9か国だけだ。時間どおりが当たり前、子どもがひとりでも通学できるのが当たり前という、その日本のあたりまえが、海外では普通じゃないことが驚きだ。日本はルールを守る、体系的な国だけど、それは、自分が守れば、結局それが自分の便利さ、効率の良さにかえってくるからだ。みんながそうすることで、すべてがスムーズに効率的にまわる。海外はどちらかというと、そういう守ることより、自分の意思を優先する方が多いのかね。日本だけで完結できるなら、この状態をキープしてほしいが、いまや世界とすべてが複雑につながっているから、ややこしい。だから円安も困るし、石油が滞るのも困る。例えばイスラエル・アメリカとイランの戦いとか、はっきり言ってよくわからない。距離も遠いし、ほとんどの人がイスラエルやイランは知らないと思う。欧州だって区別つかない。上空にミサイルが飛んでくるのは、まったく実感としてわからない。画面越しで現実感がない。イスラエルのあのへんは紀元前からの宗教的戦いだし、そんなものに介入などできようか。民主主義とか言われた時代は終わろうとしている。明らかに力を振りかざして、経済をも政治化して人質にする混沌とした時代。願望を言えば、もう中堅国の平和に商売して穏やかに暮らしたい国々だけのサプライチェーンをつくり、その中で搾取でなく、お互いに利益があるそんな繫栄圏ができればなあと思う。大国の力と意思に対抗できるだけの、他国との信頼というつながりや、自国の優位な産業を保持すれば、できないバランスではないと思うよ。ぶっちゃけ、あと2年は我慢?しかし、最近の分きざみでコロコロ変わる思いつき言動は、大国の大統領としては不安しかない。世界はどこに向かってんだろう。PR
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ナースコールという映画の予告編を見た。
急性期病棟の看護士の1日みたいな感じを、まるでドキュメンタリーかのように、リアルに映していた。人員不足のなか、瞬時も気を抜ける間もなく、次から次へと起こる事態にプロとして対応していく。一人の看護士の仕事ぶりだ。それでもそれなりに人としての対応もしつつ、時間に追われ、やるべきことに追われ、医師には案件を放り投げられ、患者には罵倒され、それでもひたすら職務をこなしていく。目の前にあるから、もうやるしかないのだ。
外国の映画だが、日本の医療現場も似たようなもんだろう。コメントが共感の嵐だった。オフの日にもナースコールが頭の中で鳴るとか、自分がすり減りやめるしかなかったとか、いろいろな自分のことをみんなが語っていた。心が痛いというか、プロとして頑張るほどにきつい。
考えてみたら、普通の商売のサービス業とかでも、客相手にいろいろある。精神労働と言われる。本来の仕事より、客や職場の人間関係で仕事から離れる人が多い。私の勤めていたとこもそうだった。
それからしても、人の命にかかわる看護士はさらに精神労働過剰だろう。他にも介護士、救急車の人、教師とかそのほかにもいろいろな職業で、人に密接に関わるほどに、そのストレスは比例していくだろうと思う。
人員不足だが、募集してもこないから仕方がない。人手がなくても、それを暗黙でカバーするしかない。組織や上層部はわかってるのに見ないふりをする。今はどこも人手不足で、そんなことは常態化してる。最近、日本でいろいろ細々と、以前なかったような凡ミス事故があったりするのも、人手不足が遠因ではないのかなあ。
人が減るから、その分、なんとかがんばりそこをカバーしようとする。そしたら、いなくてもできているからいいんじゃないかで終わる。がんばるほどに、自分の首をしめていく。
「一生懸命頑張る」では物事は変わらない。気持ちだけでは何も変わらない。
でも、医療現場とか命に関わるところでは、そんなこと言ってられない。今、目の前のことを何とか自分がしないと、代わりはいないと「一生懸命頑張る」しかないその状況は悲劇、まさしくホラーに思えた。
予告編だけで、気が滅入った。興味あるけど、観るのはきついかなあ。 -
配信でたまたま見つけて見た。
27年投獄されて、妻や幼い子供もつらい目にあい、離れ離れだった。妻も子供と引き裂かれしばらく投獄され、白人への憎しみをぶつけ、暴力で闘うリーダーになる。
マンデラは獄中で少しずつ立場を変えながら、しかしずっと囚われ、娘が面会に来て会えたのは娘が20歳になってから。息子はその前に事故死し、会うことも、葬儀に行くこともできなかった。
そしてようやく出てこれたマンデラと妻の大きな隔たり。27年という年月の彼の不在は長すぎた。彼女は闘争のリーダーとなり暴力も辞さない。そしていつしかマンデラ不在の間に恋人もできていた。マンデラの胸中は複雑だったろう。でも、彼はもともと暴力を好まない人だったように思えた。だから暴力的闘争する人々を鼓舞する、すっかり変貌した妻に距離を感じただろう。
マンデラはある日、ラジオ放送に出た。放送で、こんな手紙を渡されたと読み上げる。復讐してほしいと。しかし彼の答えはNO。
彼はずっと獄中生活で、人生を奪われた。しかし私は彼らを許す。だからみんなもそうしてほしい、銃を捨てよう、そして投票に行こうと訴える。
そしてマンデラは大統領になった。胸中はどうだったろう。差別、憎しみ、悲しみ、痛み、いろんな思いを静かに押し殺して、ひとつのテーマへと向かった。
妻の生き方も仕方がないと思う。彼女はひとりで必死で子供を守り、闘った。そのときに共鳴する相手が、傍にいてくれる相手がいたら愛してはだめだろうか。マンデラも家族をいわば犠牲に南アフリカの人々のために闘った。
最期に死ぬとき、彼らは何を思っただろうと思った。
公の正義、家族への正義、組織の正義、同じ正義じゃない。その裏側には闇もある。
そして年月が人を変える。
すごく考えさせられる映画だった。