入口に「205高木一哉」とある。施納はフランケンから聞いた男に会うために、病院へやって来た。大きな総合病院だ。受付で聞いて、4階へ上がる。
ノックをすると「はいーぃ?」と、気の抜けたような声がした。
高木一哉だった。頭には包帯、足にギブスをはめ、ベッドで吊り上げられている。腕にも包帯がしてあった。
施納が素性を明かし、弟の件を言うと、「バイクではねやがったやつは、まだ見つかんないまま。ケーサツには、ぜったいあいつだって言ったんだけど。そっか。死んじまったんだ」と、ぶすっとしたまま言った。「いや、お兄さんには悪いんすケド」と、悪いと思ったのか付け加える。
「どういうことですか?」
「こんなこと、いいたくないけど、マジあいつのおかげで、このザマなんだぜ。あいつ、おれを脅しやがって。“気をつけろ、怪我するぞ。死ぬかもしれない”だとさ」
「それは…」
施納は返事に困った。また光起の違う面を見たようだった。
そのとき、ドアが開いた。女子高生ふうの女の子が花の入った花瓶を持っている。施納を見て、少しお辞儀した。
「あいつが変なこというから文句言って、ちょっと叩いただけで、逆恨みだぜ。夜中にやつのバイクにはねとばされて、ぶっ飛んだ」
「光起が?…」
「決まってんだろ。警察はやつにはアリバイがあるだのなんとか言うけど、あいつがこれまでどれだけ問題起こしてきたか。なあ、アキ」
高木は花瓶を持った女の子に視線を向けた。
「まあ…」
アキという高木と同級生らしき女の子は、テーブルの、開けて食べかけたまま置いてあるスナック菓子をどけると、花瓶置いた。
「ついこのあいだも万引きして、こいつに見つかってんの」
施納には意外だった。弟はたしかに万引きとかいろいろしていたが、人を脅すようなやつには思えなかった。施納の前では口こそ良くはないが、気のいい、やさしい弟だった。
施納はもうこれ以上聞くことがなく、少し病室にいただけで、帰ることになった。エレベーターに向かうまでの廊下でも、看護士や患者が視界に入ったり、出ていったりと、病院は常にざわついている。
背後でぱたぱたと足音が近づく。施納が足を止めて振り向くと、アキという女の子が急ぎ足で彼に近づいてきた。
「あれは…実は私なんです。」
アキが小さな声で言った。
「友だちにいっしょにやろうって言われて、店でこっそり鞄にアクセサリーを落とし入れて、万引きしたの、私なんです」
彼女は病院の廊下で、うつむき加減でそう言った。
「真城くんは、やめろって止めてくれたの。なのに私、万引きを真城くんになすりつけた。だって急に真城くんに鞄をつかまれて、びっくりして恐くなって…。友だちはあわてて先に逃げるし。あのときは魔がさしたんです。なんであんなことしたのか」
「そう…」
施納は弟を警察に迎えに行ったときのことを思い出していた。
「おれが万引きしたんじゃないし」
「だったらそう警察に言え」
「言っても信じないだろ」
「信じないな」
「ほらね」と、光起は笑った。
光起が言ったそこだけは、本当のことだったのだ。施納は弟を信じていなかった。今頃知る真実が彼にもたらすものは、罪悪感とか後悔ではなく、ただの疲れと無力感だった。
「あの、このこと、やっぱり警察に?」
アキはおどおどと、彼を上目使いに見ている。施納は首をふり微笑んだ。
「もう済んだことだから」
そう、もう遅い。弟の一部の正義をいくら回復しても、意味はないのだ。ただ彼を知る者たちだけの気持ちの問題だ。
アキは申し訳なさそうに深くお辞儀をして、走り去った。
施納は少し安堵した。高木とアキは、あの写真を送りつけてきたやつではないだろう。散らかった菓子、屈託のないしゃべり方、緻密さは感じられない。もしどちらかが犯人だとしても、すぐバレるはずだと思えた。
しかし、弟が高木一哉をいじめたり脅したりしていたのなら、なぜしてもない万引きの濡れ衣は黙ってきたのだろうか。施納は弟のことがよくわからないままだった。
「あのぅ…」
施納がその声の方に目をやると、パジャマ姿の老人が立っている。痩せて、薄くなった頭髪は真っ白だ。
「あのぅ、203号室はどこですか?迷ってしまって…」
「あ、えーと」と、彼は反対を向いて、指差す。高木一哉の病室が205だ。
「あのあたりの左側ですね。すぐそこに看護士さんの詰め所ありますから…」
そう言うと、また振り向いたが、そこにはもう、老人の姿はなかった。聞かずにさっさとまたどこかへ行ったのだ、ただボケていたのかもしれないと思った。
そのとき、廊下を向こうから、女性の看護士が2人走ってきた。
「あなたは先生呼んで来て!」
「はい!」と、1人が急いで方向を変えて走り出す。その1人に向ってもう1人が声をあげた。「203号室よ!」
施納は驚いて、その行方を追った。さっきの老人が言っていた部屋だ。1人はそのまま走って行き、先の方の左側の部屋へと走り込んだ。
203号室、さっきの老人は部屋を間違えていたのだろうか、彼は妙に偶然が一致したような、不思議な気分だった。
教えてもらった高木一哉という男をたずねたが、光起はどうやら、その男を逆におどしていたようだと、フランケンにメールしたら、すぐに返事が来た。いつもパソコンの前に座ってるかのようだ。
『ランボーはそんなやつじゃない。』
「何がそんなやつじゃない、だ」
施納は思わずつぶやいた。少々腹が立った。
* *
『直接会うわけでなく、1年ぐらいのメールだけの付き合い
なら、誰でも都合良く、いいこと言うんじゃないでしょうか?
弟のことを悪く言いたくはないのですが、本当のところ、実
は私は、補導された弟を引き受けに、警察に何度も行きました。
もしあなたが、私が本当の彼を知らないと思われるのであれ
ば教えてください。彼が何をして、どう思っていたのかとか、
ぜひ、知りたいのです。』
パソコンの画面の新着メールには、そう書かれてあった。施納英二とある。
カーテンが閉め切られ、デスクトップパソコンの、17インチ液晶画面だけが明るい。その机に置かれたトレーには、食べ終わった食器、牛乳を飲んだあとの白い筋が残った空のコップがある。机の下には本が乱雑に散らばり、無造作にたたんだままの服が、積まれて置いてあった。
ノックをすると「はいーぃ?」と、気の抜けたような声がした。
高木一哉だった。頭には包帯、足にギブスをはめ、ベッドで吊り上げられている。腕にも包帯がしてあった。
施納が素性を明かし、弟の件を言うと、「バイクではねやがったやつは、まだ見つかんないまま。ケーサツには、ぜったいあいつだって言ったんだけど。そっか。死んじまったんだ」と、ぶすっとしたまま言った。「いや、お兄さんには悪いんすケド」と、悪いと思ったのか付け加える。
「どういうことですか?」
「こんなこと、いいたくないけど、マジあいつのおかげで、このザマなんだぜ。あいつ、おれを脅しやがって。“気をつけろ、怪我するぞ。死ぬかもしれない”だとさ」
「それは…」
施納は返事に困った。また光起の違う面を見たようだった。
そのとき、ドアが開いた。女子高生ふうの女の子が花の入った花瓶を持っている。施納を見て、少しお辞儀した。
「あいつが変なこというから文句言って、ちょっと叩いただけで、逆恨みだぜ。夜中にやつのバイクにはねとばされて、ぶっ飛んだ」
「光起が?…」
「決まってんだろ。警察はやつにはアリバイがあるだのなんとか言うけど、あいつがこれまでどれだけ問題起こしてきたか。なあ、アキ」
高木は花瓶を持った女の子に視線を向けた。
「まあ…」
アキという高木と同級生らしき女の子は、テーブルの、開けて食べかけたまま置いてあるスナック菓子をどけると、花瓶置いた。
「ついこのあいだも万引きして、こいつに見つかってんの」
施納には意外だった。弟はたしかに万引きとかいろいろしていたが、人を脅すようなやつには思えなかった。施納の前では口こそ良くはないが、気のいい、やさしい弟だった。
施納はもうこれ以上聞くことがなく、少し病室にいただけで、帰ることになった。エレベーターに向かうまでの廊下でも、看護士や患者が視界に入ったり、出ていったりと、病院は常にざわついている。
背後でぱたぱたと足音が近づく。施納が足を止めて振り向くと、アキという女の子が急ぎ足で彼に近づいてきた。
「あれは…実は私なんです。」
アキが小さな声で言った。
「友だちにいっしょにやろうって言われて、店でこっそり鞄にアクセサリーを落とし入れて、万引きしたの、私なんです」
彼女は病院の廊下で、うつむき加減でそう言った。
「真城くんは、やめろって止めてくれたの。なのに私、万引きを真城くんになすりつけた。だって急に真城くんに鞄をつかまれて、びっくりして恐くなって…。友だちはあわてて先に逃げるし。あのときは魔がさしたんです。なんであんなことしたのか」
「そう…」
施納は弟を警察に迎えに行ったときのことを思い出していた。
「おれが万引きしたんじゃないし」
「だったらそう警察に言え」
「言っても信じないだろ」
「信じないな」
「ほらね」と、光起は笑った。
光起が言ったそこだけは、本当のことだったのだ。施納は弟を信じていなかった。今頃知る真実が彼にもたらすものは、罪悪感とか後悔ではなく、ただの疲れと無力感だった。
「あの、このこと、やっぱり警察に?」
アキはおどおどと、彼を上目使いに見ている。施納は首をふり微笑んだ。
「もう済んだことだから」
そう、もう遅い。弟の一部の正義をいくら回復しても、意味はないのだ。ただ彼を知る者たちだけの気持ちの問題だ。
アキは申し訳なさそうに深くお辞儀をして、走り去った。
施納は少し安堵した。高木とアキは、あの写真を送りつけてきたやつではないだろう。散らかった菓子、屈託のないしゃべり方、緻密さは感じられない。もしどちらかが犯人だとしても、すぐバレるはずだと思えた。
しかし、弟が高木一哉をいじめたり脅したりしていたのなら、なぜしてもない万引きの濡れ衣は黙ってきたのだろうか。施納は弟のことがよくわからないままだった。
「あのぅ…」
施納がその声の方に目をやると、パジャマ姿の老人が立っている。痩せて、薄くなった頭髪は真っ白だ。
「あのぅ、203号室はどこですか?迷ってしまって…」
「あ、えーと」と、彼は反対を向いて、指差す。高木一哉の病室が205だ。
「あのあたりの左側ですね。すぐそこに看護士さんの詰め所ありますから…」
そう言うと、また振り向いたが、そこにはもう、老人の姿はなかった。聞かずにさっさとまたどこかへ行ったのだ、ただボケていたのかもしれないと思った。
そのとき、廊下を向こうから、女性の看護士が2人走ってきた。
「あなたは先生呼んで来て!」
「はい!」と、1人が急いで方向を変えて走り出す。その1人に向ってもう1人が声をあげた。「203号室よ!」
施納は驚いて、その行方を追った。さっきの老人が言っていた部屋だ。1人はそのまま走って行き、先の方の左側の部屋へと走り込んだ。
203号室、さっきの老人は部屋を間違えていたのだろうか、彼は妙に偶然が一致したような、不思議な気分だった。
教えてもらった高木一哉という男をたずねたが、光起はどうやら、その男を逆におどしていたようだと、フランケンにメールしたら、すぐに返事が来た。いつもパソコンの前に座ってるかのようだ。
『ランボーはそんなやつじゃない。』
「何がそんなやつじゃない、だ」
施納は思わずつぶやいた。少々腹が立った。
* *
『直接会うわけでなく、1年ぐらいのメールだけの付き合い
なら、誰でも都合良く、いいこと言うんじゃないでしょうか?
弟のことを悪く言いたくはないのですが、本当のところ、実
は私は、補導された弟を引き受けに、警察に何度も行きました。
もしあなたが、私が本当の彼を知らないと思われるのであれ
ば教えてください。彼が何をして、どう思っていたのかとか、
ぜひ、知りたいのです。』
パソコンの画面の新着メールには、そう書かれてあった。施納英二とある。
カーテンが閉め切られ、デスクトップパソコンの、17インチ液晶画面だけが明るい。その机に置かれたトレーには、食べ終わった食器、牛乳を飲んだあとの白い筋が残った空のコップがある。机の下には本が乱雑に散らばり、無造作にたたんだままの服が、積まれて置いてあった。
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