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なにげに

日々のいろんなけっこうどうでもイイことを更新中。 オリジナル小説は「みたいな」という別ブログに移動。

アフリカの砂漠の名前<16>
「前島…」
 麻美を追っていて、この前島洋介にばったり会ったことで、この男と妻の麻美が、不倫しているのではないかという施納の疑惑は、ますます広がった。

 前島も驚いたふうだった。すぐ横を、同じ店から出てきた若い男が通り過ぎた。前島の肩に当たったが、何も言わずさっさと歩いて行った。

「何やってんだ、こんなところで。おまえの家はこっちじゃないだろ」
 施納はそう言いながら、あたりを見回した。麻美がどこかにいるのではと思ったからだ。

「ちょっとな」
 前島は笑顔を見せながら、乱れてもいないネクタイの結び目を何度も触った。なにか落ち着かない様子だ。

「誰かと会う約束でも?その格好、今日は仕事じゃないだろ」
 前島はスーツ姿で、相変わらずきれいな色のネクタイをしている。
「独身だから、何でも好きにできるしな」と、施納は前島の返事を待つのももどかしそうに続ける。前島が眉間にしわをよせた。

「どういう意味だ?」
「だから、何でも好きにできるってことだよ。女と何人でもつきあえる。浮気もできる。不倫とかも」
つとめて明るく言ったが、動悸が高まる。

 前島は急に笑い出した。
「ま、どうとでも言ってくれ」と、もう行くよという仕草をして背を向けた。施納はその後ろ姿を見送りながら、前島が麻美と会うところを想像した。前島に妻のことを聞く勇気も、後をつけていく勇気も、もうなかった。

 陽が傾きかけていた。通りの向いのビルのガラスに、夕陽にあたっている自分の姿が映っているのが見えた。普段着に、コートをひっかけた自分の姿を自虐的に笑う。

 彼女が不倫していたとしても、自分と別れたいとしても仕方ないかもしれないと思った。
 なぜなら、麻美に離れてほしくないのは、自分がひとりになりたくないからだ。愛していないわけではない。もちろん大事に思っている。ただ、昔と違い、いつも普通に近くにいる同志のような気分だ。そして、この変化のないゆるやかに過ぎる生活を、壊したくなかったからだ。

 そのときはっとした。向いのガラスに映った彼の後ろには、逆になった文字が見えた。
 施納は驚いて振り向いた。その文字に気付いたからだ。そこにはあまり目立たない古びた喫茶店があり、その看板の名前が『ランボー』だった。さっき、前島が出てきたその店だった。

 ランボーが金を借りると言ってたやつがいる。そいつが何か知ってるだろう。探すといい。『ランボー』を教えてもらったのもそいつだと言っていた。

 フランケンのメールを思い出す。なにかがつながったような気がした。
「前島、光起に、弟に会った?」
行きかけた前島が振り向いた。施納はどきどきしてくるのがわかった。

「ああ」
 前島は予想外にあっさりと認めた。
「偶然だったんだ。この店に来ていて、声をかけた」

「え?」
「さっき、おれのあとに男が出てきただろう?今日初めて会った、おれの連れだ」
 施納は意味がわからなかった。
「そういう店にいるんだ。声をかけるよ」
ようやく意味がわかってきた。
「弟が?」

「いや、勘違いしないでくれ。彼はそうじゃなかった。つまりそういう嗜好はなかったんだ。つまり、おれを覚えていて、見つけて来たんだそうだ」
「なんで?弟はおまえとは会ったことないだろう?」

「いや、あるよ。おまえのお母さんが亡くなったとき、葬式で。彼はおれの手を握って離さなかった。再会したとき、その彼だとすぐにはわからなかったけど」

「なんでおまえに」
「兄さんは元気かって聞いたよ」

「え?」それは意外な答えだった。
「ずっと会ってなかったんだって?嫌われてるからって言ってたよ。そうだったのか?」
「まさか」施納は曖昧に笑った。「弟は補導ばっかりされて、引き受けに行ったり迷惑かけられてたよ。きっとそれで、嫌われたと思ったんだろうな」

「それから時々会って、話したよ」
「どんなことを?」
「おまえのこと、元気にやってるよとか報告したり、他愛ないこと話したり。いい子だったね」

「前島、ランボーって知ってるか?」
「アルチュールランボー?それが?」
「弟に話した?」

 施納はようやくたどり着いた気がした。
「ああ、この店の名前、詩人からとってるんだって話した。それと、きみは彼と似てるイメージがあるって」
「どこが似てるんだ?」
 施納はその詩人をよく知らない。光起が図書館で借りていた本は一応目を通したが、もう記憶になかった。彼の興味をひく内容ではなかったからだ。

「ペットボトルを飲み干したかと思うと、いきなり、そのペットボトルを通した向こうの写真をとるんだ。なにやってるのかって聞くと、世界はいつも同じじゃない。すべてのもの、あらゆる組み合わせがあるなかの、偶然のひとつでしかない、このとった瞬間も、世の中でたったひとつのものだってね。彼は詩は書かなかっただろうけど、詩人だと思ったんだ」

「そうか」
 光起はとても興味を持ったのだろう。だから本まで借りてランボーの生涯を追った。そこに自分とつながる、納得できる理由がないかと探したのだ。

「金を貸してくれと言われなかったか?」
「ああ、でもそのとき持ち合わせがなかった」
「いくら?」
「3万。1万ぐらいはあったけど」

「何のために?」
「さあ。でも、あとで持ってくると言ったけど、それならいい、時間ないからって言ってたよ。残念なことに、それが最後だった」
「そうか」

「このこと、警察に言うのか?」
 施納は首を横に振った。
「すまない。ずっと言えなくて。いや、おれが犯人だと疑われるとか、そんなんじゃなくて」
「わかってるよ」
 施納は頷いた。

 誰にでも触れられたくない秘密はあるのだ。前島は事件にも、そして妻の麻美にも関係なかった。施納は逆にすっきりした気分だった。

 ところが、家に帰ろうと横断歩道で信号が変わるのを待っていると、麻美がスーパーの前にいるのを見つけた。彼女は時計を見て時間を気にしていた。

 施納はしばらく足を止め、その様子を見ていた。すると彼女はスーパーへと入って行く。いつもよく買い物をするスーパーだ。

 だが、何か腑に落ちない。前島はもはや関係なかったが、何か麻美が不自然だった。施納は彼女のあとを追ってスーパーに入った。

 店内にはタイムサービスの案内が聞こえていた。麻美はすでにカートに、トイレットペーパーをのせている。このあいだと同じだった。そしてすぐに彼女はカートを押してコーナーを曲がった。
 彼もそろそろとコーナーに近づき、曲がった方向を見たが、もう麻美の姿はなかった。あわててあたりを見回すと、彼女はもう出口付近に、空のカートを戻していて、このあいだと同じように、何も買わずに出て行った。

 施納は彼女の行動を考えあぐねた。再びあたりを見回したとき、トイレットペーパーの入ったカートに目がとまった。男がそのカートから封筒を取り、胸ポケットに入れるのを見たからだ。若いが、目つきが暗い見知らぬ男だ。男は施納が見ていることに気付き、カートをそのまま置いて歩き出した。

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