瀬里はキーボードを打ち終わると、煙草に火をつけ、ふうっと吐いた。パソコンの電源を切る。そして部屋をゆっくり見回した。
カーテンの隙間から日差しが入り込む。くしゃくしゃに放られたままの服、散らばった雑誌やCD、はがれかけた昔のポスター、不揃いの本棚、溢れたゴミ箱、食べかけの菓子パン、パソコン、プリンター、スキャナー、テレビ、ビデオ、DVDデッキ、それらのコードがあたりいっぱいにのびている。その床に、細い光はのびていた。
彼女はカーテンを思いっきり開けると、部屋の扉も開けた。
「まあ、瀬里ちゃん」
母親が、階段を降りてきた彼女を見て、びっくりして声をかけた。千夏という女性も居間で座っていた。このところ毎日来ていた。
「どうしたの?」と、母親はおろおろと、瀬里の後ろをついていく。
「ちょっと」
瀬里は玄関で靴をはきながらそう言う。そして、思い出したように「携帯、かして」と言った。母親は一瞬止まったが、あわてて携帯を持って来て、「何かあったら連絡してね」ととまどったように言った。
「どうしましょう」
母親は混乱している。
「どうもしなくていいですよ」と、千夏がにこにこしながら、そう言った。
瀬里は靴ひもをぎゅっと力強く縛った。
* *
『実は自分はもうずっと、ひきこもってる。2年くらい。
でも、ランボーと知り合って、顔も名前も何も知らないのに、
本心を話し、素顔をさらしているみたいにメールできた。不
思議だよ。いちばん近くにいる人たちより、ずっと近くに感
じたなんてね。
ランボーは、ずっとわかってくれた。
近くにいる人たちは何も言ってくれないと文句言うけど、何
も聞いてはくれなかった。
ランボーは聞いてくれた、たったひとりのやつだった。自分
のこの1年の、大切な友だちだった。
いま、ランボーからの死ぬ3日前の、最後のメールを読み返
している。この意味をどう受け取ればいいのか、まだよくわ
からない。』
フランケンからのメールは気になるものだった。施納は、ひきこもりが本当なら、写真を送りつけてきたのはフランケンではないだろうと思ったが、弟からの最後のメールのことが気になった。いったいそこには何が書かれていたのか、知りたかった。すぐさま彼は、フランケンに弟のメールのことをたずねようと返信した。
施納は会社を定刻に出ると、祖母の家に向った。今日も祖母の真城恭子は、事件の経過を知りたがっている。相変わらず進展のない捜査状況を話さなくてはいけないのが気が重かった。
祖母の家の前で車を下りて顔をあげると、隣の家の2階ベランダから、また、年配の女性がこちらを見ている。彼は不愉快になり、お辞儀するように視線を落とすと、そのまま家に入った。
祖母は落胆していた。「そう、進展ないの」と、また仏壇に向って祈る。線香の匂いが部屋に充満している。
「私がもっと見えてたなら。ごめんね、コウちゃん」
祖母はまた、自分が夢でみたとおりに死んでいたことを言い出した。
「おばあちゃんのせいじゃないよ」これも、いつも施納が言う言葉だ。
「もうあんまり気にやまないで」
そう言って立ち上がったが、彼はふと、気になった。今朝のことを思い出す。一家心中の隣の家のことだ。
「おばあちゃん、隣に人、いるの?」
ばかばかしいとは思うが、気になったのだ。もしやと。
「ああ、野中さん?いるよ」
祖母は相変わらず拝んでいる。施納は納得して、そのまま行こうとした。
「奥さんの方はこのあいだ死んじゃったけどねえ。まだ60過ぎだったのに。2人暮らしだったから、旦那さんがかわいそうで…」
施納が驚いて振り向くと、拝んでいた祖母の恭子は顔をあげた。
「英ちゃん、あんた…」
そう言う祖母の顔は、何やら確信に満ちていた。
施納は走るように外へ出た。祖母の言葉に不安が余計広がり、車に乗り込む前に確認せずにはいられなかった。
そっと顔を上げた。やはり、隣の家の2階のベランダから、年配の女性がじっと彼を見ていた。
『うちの家系には変な能力がある』と、祖母はいつも言っていた。ばかばかしいと笑っていたが、まさか自分にあるとは、今まで思いもなかった。今こうして、隣のベランダの“あの女性”を見ていても、信じられない。
だが、気付いていなかっただけなのだ。隣の家の三輪車の子供、あの高木一哉の病院で、部屋をたずねて姿を消したパジャマ姿の老人も思い返す。
死人が見える能力ー。
まさか、自分にそんな能力があるとは。恐ろしいというには、いまだ現実感がまるでなかった。嘘のようにしか思えなかった。
カーテンの隙間から日差しが入り込む。くしゃくしゃに放られたままの服、散らばった雑誌やCD、はがれかけた昔のポスター、不揃いの本棚、溢れたゴミ箱、食べかけの菓子パン、パソコン、プリンター、スキャナー、テレビ、ビデオ、DVDデッキ、それらのコードがあたりいっぱいにのびている。その床に、細い光はのびていた。
彼女はカーテンを思いっきり開けると、部屋の扉も開けた。
「まあ、瀬里ちゃん」
母親が、階段を降りてきた彼女を見て、びっくりして声をかけた。千夏という女性も居間で座っていた。このところ毎日来ていた。
「どうしたの?」と、母親はおろおろと、瀬里の後ろをついていく。
「ちょっと」
瀬里は玄関で靴をはきながらそう言う。そして、思い出したように「携帯、かして」と言った。母親は一瞬止まったが、あわてて携帯を持って来て、「何かあったら連絡してね」ととまどったように言った。
「どうしましょう」
母親は混乱している。
「どうもしなくていいですよ」と、千夏がにこにこしながら、そう言った。
瀬里は靴ひもをぎゅっと力強く縛った。
* *
『実は自分はもうずっと、ひきこもってる。2年くらい。
でも、ランボーと知り合って、顔も名前も何も知らないのに、
本心を話し、素顔をさらしているみたいにメールできた。不
思議だよ。いちばん近くにいる人たちより、ずっと近くに感
じたなんてね。
ランボーは、ずっとわかってくれた。
近くにいる人たちは何も言ってくれないと文句言うけど、何
も聞いてはくれなかった。
ランボーは聞いてくれた、たったひとりのやつだった。自分
のこの1年の、大切な友だちだった。
いま、ランボーからの死ぬ3日前の、最後のメールを読み返
している。この意味をどう受け取ればいいのか、まだよくわ
からない。』
フランケンからのメールは気になるものだった。施納は、ひきこもりが本当なら、写真を送りつけてきたのはフランケンではないだろうと思ったが、弟からの最後のメールのことが気になった。いったいそこには何が書かれていたのか、知りたかった。すぐさま彼は、フランケンに弟のメールのことをたずねようと返信した。
施納は会社を定刻に出ると、祖母の家に向った。今日も祖母の真城恭子は、事件の経過を知りたがっている。相変わらず進展のない捜査状況を話さなくてはいけないのが気が重かった。
祖母の家の前で車を下りて顔をあげると、隣の家の2階ベランダから、また、年配の女性がこちらを見ている。彼は不愉快になり、お辞儀するように視線を落とすと、そのまま家に入った。
祖母は落胆していた。「そう、進展ないの」と、また仏壇に向って祈る。線香の匂いが部屋に充満している。
「私がもっと見えてたなら。ごめんね、コウちゃん」
祖母はまた、自分が夢でみたとおりに死んでいたことを言い出した。
「おばあちゃんのせいじゃないよ」これも、いつも施納が言う言葉だ。
「もうあんまり気にやまないで」
そう言って立ち上がったが、彼はふと、気になった。今朝のことを思い出す。一家心中の隣の家のことだ。
「おばあちゃん、隣に人、いるの?」
ばかばかしいとは思うが、気になったのだ。もしやと。
「ああ、野中さん?いるよ」
祖母は相変わらず拝んでいる。施納は納得して、そのまま行こうとした。
「奥さんの方はこのあいだ死んじゃったけどねえ。まだ60過ぎだったのに。2人暮らしだったから、旦那さんがかわいそうで…」
施納が驚いて振り向くと、拝んでいた祖母の恭子は顔をあげた。
「英ちゃん、あんた…」
そう言う祖母の顔は、何やら確信に満ちていた。
施納は走るように外へ出た。祖母の言葉に不安が余計広がり、車に乗り込む前に確認せずにはいられなかった。
そっと顔を上げた。やはり、隣の家の2階のベランダから、年配の女性がじっと彼を見ていた。
『うちの家系には変な能力がある』と、祖母はいつも言っていた。ばかばかしいと笑っていたが、まさか自分にあるとは、今まで思いもなかった。今こうして、隣のベランダの“あの女性”を見ていても、信じられない。
だが、気付いていなかっただけなのだ。隣の家の三輪車の子供、あの高木一哉の病院で、部屋をたずねて姿を消したパジャマ姿の老人も思い返す。
死人が見える能力ー。
まさか、自分にそんな能力があるとは。恐ろしいというには、いまだ現実感がまるでなかった。嘘のようにしか思えなかった。
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