そんなにくわしくないが、私は仏像見るのが好き。美しいし、なんか心洗われる感じでもある。といいつつも、仏像の表現にふとフィギュア感覚で新しい!みたいに見てしまうフトドキ者な時もあった。すんまそん。だってポージング素晴らしいし、阿修羅とか千手観音とかよくこんな形作ったよなあと感心するし。
そんなこと言い出すのは、奈良へ旅行に行ったから。前にも正倉院展で行ったことがあるけど、今回ミーハーな私はせんとくん、いや違う、平城京遷都1300年祭というイベントに心惹かれて思い立った。
でもやっぱり仏像に目がいく。買い物や食い物はほとんど眼中にない。
そして私のいちばんのお気に入りの東大寺南大門の金剛力士像!唯一この阿吽像2体だけはポストカードも買った。私の場合宗教関係なく、この造形が異様に好きなんである。鳩のフンよけのためなのか、国宝だから触られたくないためなのか、金網でよく見えないけど、本当に素晴らしい。躍動感、生命力を感じさせる力量、うっとりと見てしまうほど大好きなんである。
あと、仏像って私の個人的感想としては、年代がたつほどにヘタウマっぽい(←いや、例えです。恐れ多いよ)感じからどんどん洗練されていく気がする。
昔の人がこれを作ったんだなあとしみじみ思う。作った人、後世の見てきた人たち、みんなが死んだ後もこうやって作品だけは残っていくことに感動する。証というか、重みというか、ね。
でも一方で、「人類が消えた世界」という本を読んでいる私は、いつまで持つかなあとも思う。小学生の頃からいつもなんとなく感じ取ってた思い、それは今もずっと変らないけど、今にして思う無常という言葉に行き着く。世の中に常に変らないものなんてないってことを、ずっと思ってる。心も変っていくけど、なんでかなあ、その無常への確信はちっとも変ってないような。
だからかな?普段、宗教観がちっともない私でも、仏像をみると美しいなと清々しい気持ちで感じられる。脳内BGM「Forever Love」 嘘です。
そんなこと言い出すのは、奈良へ旅行に行ったから。前にも正倉院展で行ったことがあるけど、今回ミーハーな私はせんとくん、いや違う、平城京遷都1300年祭というイベントに心惹かれて思い立った。
でもやっぱり仏像に目がいく。買い物や食い物はほとんど眼中にない。
そして私のいちばんのお気に入りの東大寺南大門の金剛力士像!唯一この阿吽像2体だけはポストカードも買った。私の場合宗教関係なく、この造形が異様に好きなんである。鳩のフンよけのためなのか、国宝だから触られたくないためなのか、金網でよく見えないけど、本当に素晴らしい。躍動感、生命力を感じさせる力量、うっとりと見てしまうほど大好きなんである。
あと、仏像って私の個人的感想としては、年代がたつほどにヘタウマっぽい(←いや、例えです。恐れ多いよ)感じからどんどん洗練されていく気がする。
昔の人がこれを作ったんだなあとしみじみ思う。作った人、後世の見てきた人たち、みんなが死んだ後もこうやって作品だけは残っていくことに感動する。証というか、重みというか、ね。
でも一方で、「人類が消えた世界」という本を読んでいる私は、いつまで持つかなあとも思う。小学生の頃からいつもなんとなく感じ取ってた思い、それは今もずっと変らないけど、今にして思う無常という言葉に行き着く。世の中に常に変らないものなんてないってことを、ずっと思ってる。心も変っていくけど、なんでかなあ、その無常への確信はちっとも変ってないような。
だからかな?普段、宗教観がちっともない私でも、仏像をみると美しいなと清々しい気持ちで感じられる。脳内BGM「Forever Love」 嘘です。
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