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なにげに

日々のいろんなけっこうどうでもイイことを更新中。 オリジナル小説は「みたいな」という別ブログに移動。

アフリカの砂漠の名前 <1>
 風が強く吹いている。
 17歳の真城光起は鼻をすすった。足を投げ出してブランコに座っている。

「ねえ、ランボーって知ってる?昔の詩人なんだ」

 髪はいくぶん茶色で、左手の中指には、ごついシルバーのドクロのついた指輪がはめられている。
「詩は知らない。けど、あるとき突然詩を書くのをやめて、放浪して、武器商人になってさ、アフリカに行ったんだって」

 陽が傾きかけた午後の公園は、閑散としている。ひとりサラリーマンふうの男が、ベンチに座って弁当を食べているだけだ。砂場の近くに、老人が自転車をおしてやって来た。

「だけど、足の病気が悪化して、ヨーロッパに戻ってさ、足を切断するんだけど手遅れで、でも彼はアフリカに戻ろうとするんだ。アフリカの大地が、自分を治してくれるって」

 彼は足をぶらぶらさせながら、空を見上げた。ビルの間の空は低く、どんよりと曇っている。
「結局は、マルセイユで死んだそうだけど、ねえ、どうして詩人が武器商人になったんだろ?なんでアフリカに行きたかったんかな?」

 自転車を止めた老人は、のろのろと餌を取り出している。その周りにはいつしか鳩が群がっていた。

「おれ、そのアフリカの、熱さで遠くがゆらゆらして見えるような砂漠をね、ランボーみたいに歩いてるのを想像することがある。時々、すごくそこへ行ってみたくなるんだ」

 鳩がいっせいに飛び立った。彼は顔をあげて、その鳩の行き先を目で追う。どんよりした空から雪がちらほら降ってくる。彼はそれを見て、微笑んだ。





 施納英二はエレベーターに乗りながら、誰かが歌っているのを聞いた。どこかで聞いたことがあるような気がしながらも、急いでアコーディオンのような旧式の扉を閉める。早く行かなければ会議に遅れてしまうと、彼はあせっていた。

 エレベーターのボタンは3つしかなかった。そのうちの1つを押すと、突然ロープが切れたかのように、一気にすさまじい音をたてて落ちだした。あわてて何とかしようと3つのボタンすべてを押していると、また突然止まった。だが、ぎしぎしと音をたてて揺れていて、今にも落ちそうだ。

「もう一度やりなおしたい?」
 そのとき、彼のすぐ耳元で女の声がした。
 施納は肩を押される感触に飛び起きた。運転手が振り向いている。ウインカーとワイパーが動く音と、こもった雨の音がしている。彼はタクシーの後部座席で、腰がずり落ちそうなほど眠りこけていた。
 彼はタクシーを下りると、濡れるのも気にしないように、ゆっくりと目の前のマンションへ歩いて行った。吐く息が白い。マンションの入口の扉のところで彼は立ち止まる。が、すぐに扉を手で押して開けた。いまだ慣れていない。前に住んでいたところは自動ドアだったからだ。


 施納と妻の麻美がこのマンションに越して来て、1か月近くになる。築10年と、やや古びてはいるが、彼の会社への通勤の利便性を考えて決めた。車で通勤するにしても、1駅ぐらいの便利な距離にある。


 以前に住んでいたマンションは、彼らが結婚した9年前、施納が24歳のとき、新築で入居してからずっと住んでいた。しかし、近所にやがて公園や遊園地、学校、保育園もでき、小さい子供のいる家庭が多くなり、にぎやかになっていった。それがいささかうるさいという思いがあった。
 さらに通勤にも一方通行の狭い道なども多く、麻美も駅までもっと近く、台所がきれいで、そしてもっと静かなところがいいと、互いに引っ越したいと思っていた。
 彼らには子供がいなかったので、家が手狭だったわけではないが、麻美と隣近所の子供のいる主婦たちとの付き合いが、自然と距離を置いたものになっていたこともある。


 郵便受けが並んだ1階ロビーに入ると、誰もいなかった。扉がゆっくり自然に閉まると雨の音も消え去り、しんとしている。正面にある郵便受け口に新聞が中途半端に入れられていて、逆さ向きに今にも落ちそうになっていた。新聞を取って中を開けると、その内側に郵便がいくつか入っていた。それにひっかかり、新聞が入らなかったようだ。
 普段はたいてい麻美が取ってくる。今日、彼がこの時間に帰って来たのは、会社帰りではないからだ。彼は郵便取りというやり慣れないことで、引っ張りだすのに手こずり、いらつくように強引に引っ張り出した。


 郵便物と新聞を抱えると、エレベーターに乗り、ボタンを押した。疲れたようにため息をつき、首をゆっくりとぐるぐるまわす。こうしてエレベーターに乗ったとき、いつもようやく仕事から解放され、素の自分に戻る気分になれた。カタカタと音がし、足下が揺れている。彼ははっとした。さきほどの夢を思い出したからだ。ずっと落ちて行く嫌な夢だった。彼は不安そうにエレベーターを見回した。
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