忍者ブログ

なにげに

日々のいろんなけっこうどうでもイイことを更新中。 オリジナル小説は「みたいな」という別ブログに移動。

アフリカの砂漠の名前 <2>
 3階の施納の家のとなりのドアの横には、3輪車が転がったままになっていた。また小さな子供のいる家のとなりだと、麻美が少し嫌そうな顔をしたものだったが、このマンションは防音も前のところよりしっかりしているのか、あまり隣近所の気配を感じることもなく、静かだった。


 彼は鍵を取り出すと自分の家のドアを開けた。新聞をソファーに放り、鍵を机に置くと、窓を開ける。空気がよどんでいるようで、閉めきったままの部屋が嫌だった。冷たい空気を大きく吸う。雨のせいで、昼だと言うのに部屋の中は暗かった。
 携帯を置き、背広を脱いだ。家の電話の留守録のボタンが光っていたのでそれを押し、いくつかの郵便の表を見ていく。その中の自分宛のひとつの封筒に手が止まった。少し厚みがあるし、一見してダイレクトメールなど企業のものではない。裏を見るが、差出し人の名前は書かれてない。彼は開けようとハサミを探しに、隣の自分の部屋へ行った。


 机の引き出しを開けていると、留守電の声が聞こえた。

『アース化粧品と申します。新商品のご案内ですが、また後日かけさせていただきます』

ピーッと音が鳴る。

『英ちゃん、あの、警察の方はどうでしたか?また連絡ください』
 祖母の真城恭子からだ。施納はあっと小さく声を出した。今日は帰りに祖母の所へ寄るつもりだったが、すっかり忘れていたのだ。
 祖母は今日はずっと彼がやって来るのを、一時も忘れずに待ち続けていたに違いない。施納はため息をつきながら居間に戻ると、ハサミで切って開けたままの封筒を机に置き、急いで祖母のところに行く予定を手帳に書きとめる。その間にも、次の録音が聞こえた。

『尾田ですが、麻美さん、明日のビーズ教室、1時からに変更になりましたのでよろしくね』

 麻美はカルチャースクールに熱心に通っている。携帯を持ちたいと言っていたが、機種を決めかねていた。まだ買ってないのだろう。だが、彼女が携帯を持ちたいと今頃言い出したのは意外だった。これまでもあまり電話で話しこむようなところを見たこともないし、家に誰か友だちが訪ねて来たということもなかった。
 それは施納も同じで、会社の同僚たちとも仕事ぬきで飲みに行くことなどはほとんどない。たいてい断っていたので、そのうちみんな彼を誘わなくなった。彼ら夫婦はそういう点では似た者同士と言えなくもない。


 また、ピーッと音が鳴る。が、何も音がしない。小さくノイズが聞こえ、つながっているが相手が無言のままなのがわかる。やがて受話器を置く音がして終わった。


 そのとき、バサッと音がした。封を開けたまま机に放っておいた封筒から、何かが床に落ちていた。写真だ。何気なくそれを一枚手に取ると、彼の動きが止まった。
 呆然とその写真を見ている。それはまさしく今日、警察で見せられた“傷”の写真だった。

* *

 八木刑事が身を乗り出して、節くれだった指で、施納が見ている写真を指した。
「それは左脇腹です。『u』とか『y』、『4』みたいですね」
 フラッシュに、皮膚の小さな傷痕が浮かび上がる。医療用手袋が死体の腕を抱え上げ、血でぱりぱりに固まったシャツをまくりあげ、左脇腹を見せる。施納にはそんな光景が思い浮かんだ。ぎゅっと目を閉じる。


 八木はそんな施納の様子を見ながらも、また視線を下げ、写真を無造作に次々とめくる。
「右肩にあった入れ墨もまだ新しいですが、これとはあきらかに違います。刺されたナイフの傷痕とも」と、右肩の入れ墨の写真を取り出し並べた。無気味な黒いドクロマークに、細かい細工が施されている。


 さらに、八木が次の写真をめくる。
「これは左手の中指です。ドクロの指輪を引き抜こうとしたら、その下にありました。『m』みたいでしょう?右耳の後ろにも同じように『m』があります」
残りの写真から引き抜いた1枚を見せた。
「左太もも内側に『1』か『I』、もしくは『L』らしいもの、右臀部横に『u』か『y』か、左足裏親指付根に“ゼロ”かアルファベットの『O』…、まあ、これが文字や数字に限ればということですがね」と、机にその6枚の写真を並べた。


 施納はその写真を手に取ることもなく、ただ呆然とそれらの写真を見ていた。それは、2週間前の粉雪が舞った日、雑木林の中で殺されていた施納の弟、17歳の真城光起の死体に残されていた傷をアップで写したものだった。
「見覚えはありますか」
八木刑事が聞く。
「まさか」
施納は首を横に振った。
「でしょうね。それにどれも、意図的に気付かれにくい部分につけられています」
「なんで…」
八木は施納の問いかけに、一度深く呼吸をした。
「施納さん」


 そう呼ばれて、施納は顔を上げた。
「お忙しいところをすいません」
若い中須加刑事が気の毒そうに言いながら、自動販売機で買って来たコーヒーの紙コップを、施納に差し出した。


 施納たちは警察署の部屋の隅の、廊下がすぐのところの一角で窮屈な場所に座っている。人がすぐ横を通るし、ざわつきがそのまま伝わり落ち着かない。
「それとですね…」
 八木は別の1枚の写真を出した。口の中を撮っている。
「これは?」
「どこにも文字のようなものは、ないみたいですよね」
中須加が横からのぞきこんで言った。


「右奥歯、治療中だったらしいですが」
八木は奥歯を指した。
「その仮歯が抜かれて、別のものが入れられてましてね」
「え?」
中須加もまだ聞いていなかったようだった。
「これは骨です。骨を歯の大きさに削って入れてありました」
「骨?」
八木の言葉に施納は歪んだ顔を上げた。

PR

コメント

コメントを書く