エレベーターが閉じて、しばらくして、施納の脳裏にその男の顔が、今日見た写真の男と重なった。
「伊勢崎雅人…」
さっきの男の顔はまさしく伊勢崎だった。横断歩道の向こう側にいた顔、ティッシュを配っていた顔、どれもが重なった。だが、写真と別人のようで、豪快さはみじんも感じられなかった。だから写真を見たときは思い出せなかったのだ。
エレベーターの階数を示す明かりは降りて行き、一階で止まった。そのときになって、施納は自分が震えていることに気づいた。なぜあの男が自分をつけまわしているのだろうという疑問が、恐怖を伴って残った。
* *
『伊勢崎雅人という男を知りませんか?』
メールにはそうあった。施納からだ。しかも施納を付け狙ってるとある。
町田瀬里には、施納のメールが、その伊勢崎雅人という男が、光起を殺した犯人だと言ってるように思えた。
ドアをノックする音がした。彼女は聞いてもないかのように煙草に火をつけると、一息吸って、勢い良く煙を吐いた。
「瀬里さん、千夏です。また来ましたよ」と、このあいだ聞いたのと同じ声がした。
瀬里はマウスで画面をクリックする。メールソフトの差出人には、『ランボー』ばかりが並んでいた。
「少しでも話せないかな?」
「瀬里ちゃん」
千夏という女性の声のあと、すぐに母親の深刻そうな声がした。
メールソフトを立ち上げると、勝手に受信するメールがまだ来ていた。どれも迷惑メールに振り分けられ、やがて終わった音が鳴ると、迷惑メールが(87)となり、受信のところはゼロだった。
「きっとまだ寝てるんですよ。昼寝て、夜起きてるような生活してるんです。もう1年ほど、こんな調子で。何でこうなったのか…」
ドアの向こうの会話がはっきりと聞こえてくる。
「人間関係とかの問題じゃないんですか?」
「さあ…何も言ってくれないんですよ」
「そのせいで、自分は必要ない人間なんだ、生きてる価値がないんだって」
千夏という女性の言った言葉に、クリックする手が止まった。
「私がそうでしたから。だから、今、こうしてボランティアであちこち行ってるんです」
「はあ」
母親の鈍そうな反応が伝わってきて、瀬里はいらいらしてきた。立ち上がると、薄暗い部屋の中を行ったり来たりした。
「瀬里さん」と、千夏の声が続いた。「このままでいいから、話しましょうよ。話せば少しは…」
瀬里は勢い良くドアを開けた。母親と千夏という女性の驚いた顔が目の前にあった。
「わかるとでもいうの?わかるわけないじゃない!ほっといて!」
そう言うと、彼女たちの鼻先で、またすぐにドアを思いっきり勢い良く閉めた。
「瀬里ちゃん!」あわてた母親が強くドアを叩いた。
「ああ、すいません、あんなこと」
「いえ、いいことですよ。一応話してくれましたから」
千夏の明るい声がした。一瞬見た千夏は、思ったより若かった。瀬里には自分と同じ年ぐらいに見えた。だからよけいに彼女との差を感じた。彼女の言ったことは正しかったのだ。
高校でつき合っていた彼がいた。そして浮気された。その相手は彼女の親友で、前からこっそりつき合っていて、知らないのは瀬里だけだった。
それを知らされることなく、偶然目撃して知ることになった。表面は何もないようにごまかされ続けていたことに、くやしさ、悲しさや憎しみやら、すべてのネガティブな感情が押し寄せてきたみたいだった。本気で彼氏も親友も、死んでしまえばいいとさえ思った。
あれから2人とはいっさい口をきかなかった。激しくなじることも、ひっぱたくこともなく、ただ無視し続けた。それしかできなかったのだ。そして必死に感情をこらえて高校卒業してからは、何もやる気にならず、何となく家にこもってしまっていた。
いや、何となくではないと、彼女は思い返す。自分のことを誰にも見られたくなかったのだ。自分を消し去りたかったのだ。部屋にこもり、太陽の日差しを避け、ネットで暗いサイトばかりを探した。
瀬里はドアにもたれたままでいる。じっと部屋を見回す。薄暗い部屋、散らかった部屋、正面の机のパソコン画面だけが、明るく光っていた。
「伊勢崎雅人…」
さっきの男の顔はまさしく伊勢崎だった。横断歩道の向こう側にいた顔、ティッシュを配っていた顔、どれもが重なった。だが、写真と別人のようで、豪快さはみじんも感じられなかった。だから写真を見たときは思い出せなかったのだ。
エレベーターの階数を示す明かりは降りて行き、一階で止まった。そのときになって、施納は自分が震えていることに気づいた。なぜあの男が自分をつけまわしているのだろうという疑問が、恐怖を伴って残った。
* *
『伊勢崎雅人という男を知りませんか?』
メールにはそうあった。施納からだ。しかも施納を付け狙ってるとある。
町田瀬里には、施納のメールが、その伊勢崎雅人という男が、光起を殺した犯人だと言ってるように思えた。
ドアをノックする音がした。彼女は聞いてもないかのように煙草に火をつけると、一息吸って、勢い良く煙を吐いた。
「瀬里さん、千夏です。また来ましたよ」と、このあいだ聞いたのと同じ声がした。
瀬里はマウスで画面をクリックする。メールソフトの差出人には、『ランボー』ばかりが並んでいた。
「少しでも話せないかな?」
「瀬里ちゃん」
千夏という女性の声のあと、すぐに母親の深刻そうな声がした。
メールソフトを立ち上げると、勝手に受信するメールがまだ来ていた。どれも迷惑メールに振り分けられ、やがて終わった音が鳴ると、迷惑メールが(87)となり、受信のところはゼロだった。
「きっとまだ寝てるんですよ。昼寝て、夜起きてるような生活してるんです。もう1年ほど、こんな調子で。何でこうなったのか…」
ドアの向こうの会話がはっきりと聞こえてくる。
「人間関係とかの問題じゃないんですか?」
「さあ…何も言ってくれないんですよ」
「そのせいで、自分は必要ない人間なんだ、生きてる価値がないんだって」
千夏という女性の言った言葉に、クリックする手が止まった。
「私がそうでしたから。だから、今、こうしてボランティアであちこち行ってるんです」
「はあ」
母親の鈍そうな反応が伝わってきて、瀬里はいらいらしてきた。立ち上がると、薄暗い部屋の中を行ったり来たりした。
「瀬里さん」と、千夏の声が続いた。「このままでいいから、話しましょうよ。話せば少しは…」
瀬里は勢い良くドアを開けた。母親と千夏という女性の驚いた顔が目の前にあった。
「わかるとでもいうの?わかるわけないじゃない!ほっといて!」
そう言うと、彼女たちの鼻先で、またすぐにドアを思いっきり勢い良く閉めた。
「瀬里ちゃん!」あわてた母親が強くドアを叩いた。
「ああ、すいません、あんなこと」
「いえ、いいことですよ。一応話してくれましたから」
千夏の明るい声がした。一瞬見た千夏は、思ったより若かった。瀬里には自分と同じ年ぐらいに見えた。だからよけいに彼女との差を感じた。彼女の言ったことは正しかったのだ。
高校でつき合っていた彼がいた。そして浮気された。その相手は彼女の親友で、前からこっそりつき合っていて、知らないのは瀬里だけだった。
それを知らされることなく、偶然目撃して知ることになった。表面は何もないようにごまかされ続けていたことに、くやしさ、悲しさや憎しみやら、すべてのネガティブな感情が押し寄せてきたみたいだった。本気で彼氏も親友も、死んでしまえばいいとさえ思った。
あれから2人とはいっさい口をきかなかった。激しくなじることも、ひっぱたくこともなく、ただ無視し続けた。それしかできなかったのだ。そして必死に感情をこらえて高校卒業してからは、何もやる気にならず、何となく家にこもってしまっていた。
いや、何となくではないと、彼女は思い返す。自分のことを誰にも見られたくなかったのだ。自分を消し去りたかったのだ。部屋にこもり、太陽の日差しを避け、ネットで暗いサイトばかりを探した。
瀬里はドアにもたれたままでいる。じっと部屋を見回す。薄暗い部屋、散らかった部屋、正面の机のパソコン画面だけが、明るく光っていた。
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