テープが回りだす音がし始めた。
『そうよ、けっこう広いでしょ?引っ越してよかったわ』
最初に聞こえた声は麻美のものだった。
『でも、どうしたの?いきなり何?』
誰かと話している。施納は集中するように目を閉じた。
『前の家にも来たこともなかったのに、突然やってきたと
思ったら。今頃なに?もう10年も前のことじゃない』
『どうしても言っておかないと、と思って』
施納は驚いて目を開けた。光起の声だった。この家には来たことがないと思っていた弟だった。
『おれが言わなかったら、誰にもわからないよね。あんたが
母さんを見殺しにしたの』
その言葉は衝撃だった。「それを聞いてもそんな気分でいられるのかねえ」と男はにやりとしたが、それは正しかったのかもしれない。
施納の脳裏にあの日のことが蘇る。10年前のセミの声がうるさい、暑い夏の日のことだった。
その頃、施納は今の建設会社に就職し、ようやく仕事にも慣れてきていた。母は離婚してから、マンションで光起と暮らしていた。同じような棟が10ほど並んだ大きな団地の一角の7階だった。
施納は大学に入って家を出てからは、1人住まいをしていた。高校時代から付き合っていた麻美は同じ団地にいたが、彼女も大学は別の県で、就職で地元に戻ってきたのだった。そのため、施納と久しぶりに母親を訪ねようと、彼女が提案したのだ。そのうち結婚することも報告しておきたいと言った。施納はまだ早いと思ったが、彼女に言われるままに、マンションに行く約束をした。
彼がマンションのドアを開けたとき、麻美が蒼白になって「お母さんが!お母さんが!」と、走り寄ってきた。
しがみついてきた麻美の背後、正面の窓が開いていて、カーテンが風に揺れている。そこのベランダの洗濯物もまた、風に揺れていた。入道雲が見え、セミの声がけたたましかった。
施納はぎゅっと口を閉じた。
『母さん、飛びそうになった洗濯物おさえようとして、
あやまって落ちた…。落ちかけた。まだ手すり押さえて
て、助けてって言ったのに』
テープの光起の声が続く。
『なんでそんなのわかるのよ!』
『わかるよ。見たんだ』
『見た?嘘!あなたそこにいなかったくせに。小学生に
なったばかりだったでしょ。虫とりに出かけてたじゃない』
光起は当時7歳だった。確かにそこにはいなかった。
『私が嫌いだからってそんなでたらめ…』
『あんたこそ、母さんのこと嫌ってたよね』
『嫌ってなんか…』
『おれのことは、もっと嫌いなんでしょ?どうして?』
『何言ってるの!知らない!』
施納は聞き入った。
『…知ってるくせに』
光起の話の途中で、突然、テープが止まった。本当はこの先がまだあったはずだった。
『そうよ、けっこう広いでしょ?引っ越してよかったわ』
最初に聞こえた声は麻美のものだった。
『でも、どうしたの?いきなり何?』
誰かと話している。施納は集中するように目を閉じた。
『前の家にも来たこともなかったのに、突然やってきたと
思ったら。今頃なに?もう10年も前のことじゃない』
『どうしても言っておかないと、と思って』
施納は驚いて目を開けた。光起の声だった。この家には来たことがないと思っていた弟だった。
『おれが言わなかったら、誰にもわからないよね。あんたが
母さんを見殺しにしたの』
その言葉は衝撃だった。「それを聞いてもそんな気分でいられるのかねえ」と男はにやりとしたが、それは正しかったのかもしれない。
施納の脳裏にあの日のことが蘇る。10年前のセミの声がうるさい、暑い夏の日のことだった。
その頃、施納は今の建設会社に就職し、ようやく仕事にも慣れてきていた。母は離婚してから、マンションで光起と暮らしていた。同じような棟が10ほど並んだ大きな団地の一角の7階だった。
施納は大学に入って家を出てからは、1人住まいをしていた。高校時代から付き合っていた麻美は同じ団地にいたが、彼女も大学は別の県で、就職で地元に戻ってきたのだった。そのため、施納と久しぶりに母親を訪ねようと、彼女が提案したのだ。そのうち結婚することも報告しておきたいと言った。施納はまだ早いと思ったが、彼女に言われるままに、マンションに行く約束をした。
彼がマンションのドアを開けたとき、麻美が蒼白になって「お母さんが!お母さんが!」と、走り寄ってきた。
しがみついてきた麻美の背後、正面の窓が開いていて、カーテンが風に揺れている。そこのベランダの洗濯物もまた、風に揺れていた。入道雲が見え、セミの声がけたたましかった。
施納はぎゅっと口を閉じた。
『母さん、飛びそうになった洗濯物おさえようとして、
あやまって落ちた…。落ちかけた。まだ手すり押さえて
て、助けてって言ったのに』
テープの光起の声が続く。
『なんでそんなのわかるのよ!』
『わかるよ。見たんだ』
『見た?嘘!あなたそこにいなかったくせに。小学生に
なったばかりだったでしょ。虫とりに出かけてたじゃない』
光起は当時7歳だった。確かにそこにはいなかった。
『私が嫌いだからってそんなでたらめ…』
『あんたこそ、母さんのこと嫌ってたよね』
『嫌ってなんか…』
『おれのことは、もっと嫌いなんでしょ?どうして?』
『何言ってるの!知らない!』
施納は聞き入った。
『…知ってるくせに』
光起の話の途中で、突然、テープが止まった。本当はこの先がまだあったはずだった。
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