普通映像や舞台だと、あえてナレーションでモノローグ、心のつぶやきを入れることもあるけど、普通内面は言葉か態度であらわす。
ところが小説の場合、そこはどうにでもなる。知ってほしければ書けばいい。そこが困る。どこで内面を語るのか、あるいはどれだけ語るのか、わからないまま、なりゆきまかせで(笑)話を進めてる。
そして“私は”語りもある。これは、とても難しいと思う。彼はとか彼女はこう思ったじゃなく、私はこう思ったとなると、まさしく“私”視点しかないわけで、それはとても困るなあと思うのだ。
さらに場面転換。シナリオだと場面を場所できっちり区切っていく。時間配分もあるし、場所の説明はいたって簡潔。目に見えるありのままを書くというのが基本で、そこには何の「感情」も「感想」も入らない。
それが小説となると、これまたどこまで説明すればいいのやらわからず、まったくばらばらでくどいほど書くこともあれば、あっさりシナリオのごとく(笑)過ぎていくこともある。
またつづくー。
ところが小説の場合、そこはどうにでもなる。知ってほしければ書けばいい。そこが困る。どこで内面を語るのか、あるいはどれだけ語るのか、わからないまま、なりゆきまかせで(笑)話を進めてる。
そして“私は”語りもある。これは、とても難しいと思う。彼はとか彼女はこう思ったじゃなく、私はこう思ったとなると、まさしく“私”視点しかないわけで、それはとても困るなあと思うのだ。
さらに場面転換。シナリオだと場面を場所できっちり区切っていく。時間配分もあるし、場所の説明はいたって簡潔。目に見えるありのままを書くというのが基本で、そこには何の「感情」も「感想」も入らない。
それが小説となると、これまたどこまで説明すればいいのやらわからず、まったくばらばらでくどいほど書くこともあれば、あっさりシナリオのごとく(笑)過ぎていくこともある。
またつづくー。
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